ふんわり放牧

個人の日記です

転職先、得か損か

先輩の結婚式に参加したときに、 私の近況を知らない参列者の先輩から「研究職を辞めるというのは、もったいなかったんじゃないか」という話をされて、 一瞬「は?」となったものの、めでたい席だしその場では丁寧に説明したという出来事があった。

廃業エントリでも書いているように、そもそも組織との音楽性の違いがあるため、 職にしがみついても、得られるものは多くなかっただろうなと思うものの、 在籍時「毎日が大学院1年生のよう」という形容をしていたように、労働に対してある種の楽さは捨てがたいものであったのは事実である。 そういうことを話した。

大学院時代の指導教員が 「『あんな名のしれた企業に入社できるなんて、あの人はすごい』と思われるよりも、『あのすごい人が入った会社は、さぞ素晴らしいのだろう』と思われるようになろう」というニュアンスの発言をしたことが OBの中でも語り継がれている。 直接私がその言葉を受け取ることはなかったのだけれど*1、 当時、日々の活動を通じて、人生訓というには大げさではあるが、「こういうふうにすると、いい感じになるよな」みたいな発想だったり価値観を、あの場から得ていたように思う。

ここ最近、私の意思決定のいくつかは経済的合理性から考えると、損と捉えられるものも多いと思いつつ、大学院のあの環境はそういうことを面白がる人たちが多い場だったよなとか、 実際に合理性からはかけ離れた生き方をしている人を実際に見ると、こう自分はまだまだ中途半端だなとか、いろいろとめぐる思いがあった。 あえて全損をする必要はないが、人間の人間らしさとして、あえて不利なカードを切ってみるというのも経験として面白いし、一つの評価軸で見た損得だけではなく、いろんな視点を持つということの豊かさにも繋がると考えている。

冒頭の話に戻ると、先輩の一言は好意的に解釈すれば、あえて反論の余地があるようなことを言うことで相手から意見を引き出すというテクニックを、今も昔と変わらず披露されたというだけで、それはそれで懐かしいものだと思いつつ、 あえて厳しい視点を持てば、この人は指導教員から何を掴み取ったんだろうか?とニッコリ嫌味でも言いたくなるくらいのことを思ったりした。人それぞれですね。

*1:私が受け取ったのは、もっと素朴なアドバイスだったりするので、スキルに対して適切に指導されていたのだと思う......