ふんわり放牧

個人の日記です

友人とビールを飲みに行く。最近あった悲しい出来事を聞いてもらった。

家に帰ったら「こんなに早く帰ったの」「あの人と飲みに行って、そんなことある?」って家族に言われて、 「まぁ長い付き合いだし、なんか全体的にダウナーだったから、そういうこともあるよ」って答える。 実際そういう会はたまにある。

そういや店も盛り上がりがなくて、なんなら街も人が少ない気がした。

mstdn.jp

なんかでも、特に何かを解決するわけでもなく、ただ話をしたいという時があって、 自分的にはこういうのも悪くないなと思っている。

まずは千葉のおもしろスポットを開拓する、そういう身近なことをやっていきたいという気持ちがある。

雑談会への招待(2)

nhayato.hateblo.jp

前回参加したのは9月だから半年以上ぶり。日中であったため、途中で勤怠を切って参加。 自分が参加していなくても、会は続けて開催されているようでとても嬉しい気持ちになる。

今回招待されたのは、参加者におめでたい出来事があったからのようで、その事実もまた嬉しい気持ちに。 ここだけの話として書くが、「そうだろうな」と思っていたことが当たった。

今思うと、趣旨を しっかりと 理解していなかった(おめでたい出来事があったという事実と、私に共有するという流れがあっただろう)ため、 つい在籍時のときのように、普通に若干長めに仕事の話をしてしまう。 もう少し質問とかしっかりすればよかったな。私の話は意味はないとは思わないけれど、呼ばれた理由を考えてなかったなと。

私はこの一ヶ月くらいの仕事の出来事をまとめて話す。 仕事の仕方自体が違うので、業務の差についての質問が出て、入社後3ヶ月後の前回参加時よりも具体的な話ができたなと思う。 またこれは、カジュアル面談の練習とも思えるし、万が一でも関心を持ってもらったらという気持ちもある。

当時から部署横断の会で、結構面白いと思っていたが、改めてそのような会の重要さがあるなと感じており、 元の所属とそのメンバーがいい感じで業績やお仕事を重ねてくれればいいなと素直に思う。 また招待していただいたら、喜んで参加したいが、次のタイミングはなんだろうな〜。

リテラシの差

現職で驚いたことの一つとして、ビジネスチームのITスキルの高さがある。 ITエンジニアが楽をするために、各種自動化をするというのは当然というか、想像の範囲内ではあったが、 システムの要求を伝え、運用していくビジネスチームが、ITに対する理解が高いことは想像を超えていた。

例えば、何か新しい機能を開発するときに、できてほしい機能をビジネスチーム側から詳細に提案されるし、 問題が起きたときに、システムの振る舞いを考慮した、綿密な回復の計画が立てることができる。 これは以前の職とのフェーズ*1の違いも多分にあると思うし、Webのスタートアップだからこそという側面もあるように思う。「できて当たり前だよね」という空気感もあるのではないか?

*1:以前の職は、何に困っているかわからないことの解決をするのだから、相手から具体的な要求が出てくることは稀

祖母が亡くなった

働く母の代わりとして、幼い頃からとてもお世話になった祖母が亡くなったため、葬儀に参加。

もともと実家に帰省する予定でいたのだが、先週体調がよくないという連絡を受けていた。 「帰省を早めるか」「間に合うか」などと話していたのだが、結局最初に決めた旅程で問題なく移動。 GWで移動が大変なときでなくて、よかったと本当に思う。

家族葬用のホールを借りて、そこで親族のみで通夜と葬儀。 わたしは仏教についてそれなりに気持ちがあるのだけれども、これは祖母の影響であって、 彼女は親族の中でも一番信心深い人であった。 この度も漏れ抜けなく葬式はできたと思うのだが、 これまでお世話になっていたお寺の住職が昨年亡くなっていたとのことで、近隣の寺の方が代理で。 若めの方であったため声に張りがあり、様々な所作について私の幼少期から知っているスタイルの違いを感じる。

火葬が終わったあとも一連の行事や今後の打ち合わせなどはあるが、それと平行して役所仕事として、亡くなった祖母の保険や年金などの手続きも行う。 家の中に対応できる人がおらず、私が代理で手続きを行うシーンもあり、学生時代に祖父が亡くなったときとは明らかに違う感じ。 今回は他の家族が調べていたおかげで、事前にやることがわかっていたからなんとかなったものの、次回は自分が主体的にやらないといけないことなのだろう。

新型コロナのおかげ、あるいは集落は高齢者ばかりで、幼い頃に行われていた行事や風習などは簡略化されてしまい、 もうこの土地には残るものも残らなくなってしまうのだなと思う。 過度なものも多かったはずであろうし、お金でなんとかできてしまうことも多いため、ノスタルジーのために残すべきとも言わないが。

私自体は信仰心はないが、世話になった恩と長らく苦労をしてきた祖母に対して、できる限りの行事は孫として付き合う必要があろうと思い、四十九日法要や初盆などのスケジュールを親に聞き、自宅へ帰る。また数ヶ月後に訪れることになるのだろうなと思う。

PS5買った

以前、Amazonの抽選に応募していたのだけれど、当選通知メールが来たので購入した。 実際、家電量販店のECサイトでは、すでに予約などなしに買える状態であったため、流通が十分になったのだろう。

Astro's Playroomというチュートリアルゲームがあったのだけれど、これが充実の内容でよかった。 新しいハードウェアを使えば「こういうインタラクションができるよ」という提示という側面はあるだろうが、その作りが非常に上質だったというのと、 ステージに配置された過去発売された別のゲームソフトのキャラクターが登場するのが探索っぽくてよかった。2割3割くらいしかわかってない気もするけれど。元ネタ探しができる作りは、好きです。

オンライン会員の特典もあり、今はMarvel's Spider-Manをやっています。

退職エントリについて

好きな退職エントリについていくつか職場で話した。

人の意思決定について書かれたものを読むことが好き。 あまり読みすぎると、まるでその人の人生を自分が生きているかのような気持ちになってしまうので、よくないと思っているのだけれど、 自分にはない評価軸や価値基準のようなものが言語化されていて、読むことでその価値観が自分に取り込まれていくのは、 感覚がアップデートされていく気持ちがある。

自分も意思決定については書いてきたし、数年経ったあとに振り返りの言語化をすることで、 過去の意思決定の良し悪しについて考えることもできてよい。

淡白な報告や、一時的な熱量で書かれた不満の塊みたいなものも悪くはないけれど、 あとからでも参照したくなるような情報量があり、その当時の空気感を残した退職エントリがこれからも書かれることを望んでいる。