ふんわり放牧

個人の日記です

2024年春の実家

金曜の夕方から日曜日まで実家に帰っていた。

前回は以下。

nhayato.hateblo.jp

土日の帰省であるから、仕事はしなかった。とにかく老人たちと話す。

カメムシが多い家であるが、本当にびっくりするくらいいる。 カメムシの駆除方法は、ガムテープで包んで捨てる。 うぐいすの声がとてもよく聞こえた。

次回は夏頃の帰省になるかなという話をした。

もし子供の頃......

blog.sushi.money

これ、ストライダーって名前だったのか。 もし子供の頃これがあったら、とても怖い経験をしそう。

実家は山の中なので、

  • 緩やかでめちゃくちゃ長い坂道
  • 短いが急な坂道

があって、どちらで乗っても大変なことになっていただろうなと思う。(公道で乗ることは禁止されているようだが)

Twitterで情報発信をしない

Twitterでアクティブに投稿することはなくなった。管理しているアカウントはあるが、これまでメインで使っていたアカウントは一旦すべてを消している。今後も投稿することはないと思う。

最近参加したTechカンファレンスでは、自己紹介のあと、まずTwitterアカウントを持っているか聞かれる。 「やってないんですよ〜」と答えると、その反応は人様々である。「かなりやっていたんですけどね、昔は」と付け加えることも多い。

イーロン・マスク反対派?と聞かれるが、決してそんなことはない。むしろ経営者としては、腕がいいほうなのではないかとすら思う。 端的に言えば、今のTwitterはサービスとしてのコンセプトがぼろぼろになっている気がしていて、そのようなサービスは自分には合わないし、そのようなものを利用する社会に加担したいと思わないから利用していないというのが答えになる。

利用していた頃、バズ狙いの投稿を見ることが増えてきて、かつての繁栄の種になったAPIの連携はどんどん廃止される。エコシステムとして狂っているなと感じていた。 もちろん広告ビジネスは重要なのだろうと思う。人の関心をお金に変える仕組みは大発明だと思う。 慈善事業じゃないのだから、無償でサービスが使えることにも感謝していた。でも、限度ってものがあるだろうと。

サービスにログインしないと、まともに情報を見ることができないというのが好かない。 いや、それ自体はいいんだけれど、その特性を持ちつつも、まるで公共メディアやハブのように使われているのはおかしいと思う。 かつて誰でもログインせずに見ることができたのに、今はログインしないと使えないという路線変更は最悪。 コミュニティや法人のアカウント運用でも同じように思っている。 ログインできない人は最新の情報にアクセスできないのだから、ソーシャルメディア戦略を考え直したほうがいいと思う。

最近「廃れゆくコミュニティはどうなっていくんですかね」「黙って人がいなくなっていくんですよ」という話をした。 たぶんTwitterは人がいなくなっていくとは思わないし、私はそうなることを望んでいるわけでもない。 人があつまる場所というのはインターネットに求められていたし、リアルタイム性は大きな価値だと思う。 ただ自分は手をひこうと思っている。それだけ。

主賓のいない送別会

送別会に参加してきた。ただし送られる本人はいないという会(どうして)。

先日前職の人から連絡が来て、お世話になった方が退職されるとのこと。送別会をするのでお前も参加しないか?と。呼ばれたらノコノコ行くタイプなので、参加した。

基本的に古き良き大企業であるから、定年退職くらいでしか人は辞めない。 その方はまだあと数年は定年まであっただろうし、役職定年にもまだまだ先という感じだったと思う*1。 内部にいる人達もどうも要領を得ない回答。

その背景として、自分のいた研究分野の部門は、私の辞める前には解体されてしまってメンバーは散り散りになっていた。 辞める方も私がお世話になった当時とは違う分野で活動されていて、 どうも幹事たちは、お互いが異なる部署であるから情報がうまく伝わっていないという感じみたい。 その結果退職理由もあまりよくわからないし、送別会の連絡は本人には伝わっていないことになった。「誰も消防車を呼んでいないのである!」状態。 そして、今回中心で集まったのは、その解体された部署のメンバーであった。

在職中、相性が悪かった人とも、相性が良かった人とも気兼ねなく話せたと思う。 相性が良くない元上司*2に対して、言葉を選びながらも酷いことを言ったが*3、 相変わらずの受け流しの反応であり、思わず苦笑い。 お互い違う道を選んでいて死なずにやれているということは、いいことなんだろうなと思う。

前職の人と話すと、現職との差についての話をするように仕向けられるのだけれど、

  • 自分はソフトウェアエンジニアとしては全然駄目だなとか、経験が足りないですねという話をしたり、
  • 基盤を作るという話をしている後輩とは、現職やSaaS企業から見た基盤環境の大切さや自分がかつて基盤環境に思っていた認識誤りについて話をしたり、
  • SIerはどうしても運用を軽視するが、開発に染み出すその軽視はSaaSをやる上では致命的であるとか、
  • もろもろの開発者体験が数年遅れているのでは?とか

と、全体的に厳しい話をしてしまう。 タイムスパンもかなり長期に考えられるところは、古き良き会社のいいところだとも思っていて、 そこは現職にはないですねという話をしたりもする。*4

一点、印象的だったこととして、開発環境への投資の考慮を現場の人が考えなくてはならないということで、強烈な違和感があった。 確かに私も前職時代、計算機を調達する稟議書を書いたことがあった気がするが、それは自分ひとりがやるスケールするかどうかもわからないプロジェクトであったからで、 多くの人が関わるような全社を上げて取り組もうとしている課題があるのであれば、開発環境への投資話はもっと上のレイヤーで閉じていてほしいよなと思ったのだった。 もっとも「会社は個人への報酬は高めているが、開発環境への投資を下げている」という笑い話を複数のテーブルで聞いたので、 中の人の認識としてはそういう感じなんだろうなと思う。無い袖は振れないわけで、難しいところだと思う。 これまで横並びだった同業他社と比較しても抜けて給与水準は高まってそうだし、報酬を中心におきつつR&Dをしたい人には魅力的な職場になっているかもしれない。

このような違和感を持つに至ったのは、クラウドベンダーのサービスを空気のように使える環境があるからこそだし、それは今いる環境のありがたい話にも繋がる。 一方、現職でも飲み会の席で「これなんとかしたいですねー」という話は当然あるわけで、さらに言えば、自分たちが言語化できてない・顕在化していない問題もあると思う。

最後に在籍したチームのメンバーとは話せて、プロジェクトがいろいろありつつもなんとか生きながらえていることを確認できた。

基本的には前職はいい会社だと思っているが、「応援してる」とか「頑張ってほしい」みたいな迂闊なことは言いたくなくて、 好きにやればええやんと思いつつ、中にいる人達が納得してやってるなら、それはそれでいいのではと思っている。 会社というのはいる人達が大切にすべき箱だと思う。

辞めた後でもこういうところに明るい顔をして出ていけるというのがめちゃくちゃ重要だと思っていて、 退職したから疎遠になるというのもつまらないよなと思う。

*1:前職では「役職離任」という名前で呼ばれていたが、人事制度改革でこの制度は廃止されたという話も聞いた気がする。若手のマネージャへの任用を勧めているにもかかわらず待遇情報が見えなかったので、情報の不均衡があった。

*2:いろんなものへの取り組み方が似ていて、お互い同族嫌悪のように思っていた

*3:感謝・尊敬はしている

*4:ここはややこしくて、研究プロジェクトとしては短命になりがちなんだが、職場環境としては会社自体がなくなることを意識しなくても良い。今の現場は、今のサービスが終わることは想定していない。

IKEAの旅

春分の日IKEA港北に行ってきた。

千葉に住んでたらIKEA Tokyo-Beyとか新三郷とかに行くものだろうが、集合の都合上、横浜の方の店舗に。 id:mactkgくんの車で秋葉原でピックアップしてもらって、首都高でブーンと行く。

IKEAに開店直後に行くのは初めて。2Fのレストランで集合。 午前中は会員だとドリンクバーが無料。朝食セットもあってよかった。 子供連れの家族がたくさんいて「少子化とは」みたいな話をしていたが、 「子供を連れていける場所なんて、この辺だと限られていて〜」と聞き、 子連れに対してこれほどのおもてなしがあるスポットは貴重であるから、なるほどな〜となる。

上の階でショールームを眺めて、下の階でピックアップをするという構造はどこも変わらない。 人々は思い思いのものを購入していたが、私は特に買わずに人の買う姿を見た。 あまり人の家に行くことはしないので、人々がどのような家具を好みどのような暮らしをしているのか聞くだけでも楽しい。

だらだらと最近起きたことを話す。

購入後にソフトクリームやホットドッグを食べて解散。 行きと同様、駅まで送ってもらい夕方前には自宅についた。

夕飯はレモンクリームパスタを作った。とてもよくできた。

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