ふんわり放牧

個人の日記です

「あなたが大切だと思っていることについて、私は大切だと思っていません」

インターネットを見て疲弊している人が多い、そんな気がする。 情報を得るツールをじっと見続けてしまい、疲弊してしまうという状態。 ツールに使われてしまうのは悲しいことだけれど、ツールを使えば使うほど事業者にインセンティブがある構造である以上、 そういうものだと思って割り切ってしまうしかない。海を眺めて、打ち寄せる波に「どうして波があるんだ!」と怒っても仕方ない。

また、安全なところから自分だけでも余裕を持って活動できればいいのだけれど、 人と人とのやり取りがある以上、 想像していなかった強いメッセージのやり取りに直接的や間接的に巻き込まれてしまう、ということも起こる。 「たとえ立場が異なろうが、対話を大切にしたい」という私の先輩の教えを忠実に守ってしまうと、 これもまた疲弊につながる。

ある見方の上では私は大変マッチョなので、タフなやり取りでもうまく乗り切ることができる自信がある。 そう言えるくらいの経験は積んできているのだけれど、すべての場面で全力でやるのは大変。 しかも問題や相手は毎回同じではないので、あちらだけHPが100%の状態でやってくる。そんな感じ。

そこできちんと境界を引くことが大切になってくる。 他者となにか特定の問題を考えるときに、暗黙のうちに相手が大切に思っていることを、私も大切に感じていると期待されていることがある。 こちらについては、「あなたが大切だと思っていることについて、私は大切だと思っていません」と主張することで、「なるほど、ポジションが違うとはこういうことか」と相手に認識していただく。 相手に折れていただくことを期待したい場合は議論のスタートとしてこれで良さそうだし、同じ立場にいないと困る場合は、お互いがそこからすり合わせていく、というプロセスを踏むことになるだろう。

相手が聞き入れてくれないような状態の場合でも、この宣言を自分のためにすることで、疲弊を緩和することはできるだろうと思う。 相手が人でない場合(例えば組織であったり、特定の問題であったり)でも、この宣言をすることは自分のために有効と感じてる。 問題の範囲を絞ることに繋がることを期待している。

ふわっとした状態で物事を進められることもスキルではあるのだが、 様々なバックグラウンドがある人たちが集まると、ふわっとさせ続けることは困難と感じることが多い(腕の無さとも言えそう)。 結果、今の自分にできることは、このような素朴なテクニックを積み重ねていくしかない。