職場のLT大会が昼間にあったので、発表。 事前準備をする暇がなくて、社内ブログのエントリをネタにいろいろ話したが、伝えたいことがちょっとでも伝わればいいかなとなった。 むしろ他の人の発表は学ぶところが多くて、かなり楽しんだ。
昼過ぎに会社にケーキがあるよという投稿を見かけて、食べに行くかと思い出社する。 が、出社した頃にはもうケーキはなかった。残念。
週ごとの会議などをこなす。出先だとマイクの音質について不安感がある。
同じチームの同僚たちもたまたまイベントで出社しており、話をする。 直接顔を見て話すのははじめましてのメンバーもいるし、遠方から来られた方もいたようなのだが、 やはりアイコンがあったほうがわかりやすい.....一発で覚えれる自身がない。そこまで頑張って覚える気がないというのもあるかもしれないが。
人々と話していると、トラブルの報告があったので調査。 めちゃくちゃ重大なトラブルではなかったので、ここにさらりと書いてしまうが、 調べてみると、自分のコミットが原因ではあるという事実。 もちろんレビューをしていただいてチームメンバーから問題ないとなった時点で、 私だけに問題があるというものではないことは、チームとして仕事をしているという立て付け上筋は通っている理屈だが、 そうはいうものの自分自身に対する課題感とか、周囲に対する申し訳無さなどを感じる。 「なんで、あれ、あの時、気づかなかったんだろう」と思いつつも、数ヶ月前の自分の意識していたことはもはや他人なのでその場では「覚えてないですね」というのをリアルに感じた。 ある特定の機能にこだわらず、広範囲に機能実装や改修を進め、サービスを継続して提供するということは、自分の他人性に向き合う必要があることだなと思う。
原因を特定するまでや、特定したあとの動き方などは、全然なれておらず、丁稚のような動きしかできなかった。 自宅の快適さと比べると、出先の環境では何も調整していないので、全然手が動かないとか、 言い訳はいくらでもできるが、その辺の手の遅さは課題としてある。 やるべきは何かということを意識しながらやったので、余計なことはしなかった*1自覚はあるが、それではいかんのだよなと。
帰宅してからなんとなくコードを読んだりして、もう少し背景理解というか、なぜバグが混入したかを調べてみる。 自分の関わった箇所については、同僚とのやり取りにおいても、意識的にコメントを書いていたのは、状況を理解する上ではいい出来事なのだけれど、その中でも問題となった箇所について「どうしてスルーしたのか」については何も書いていない。 思い出してみると、会話の記憶はないわけではないのだが、ここでは記録だけを大切にしたいので、迂闊なことは言うまい。 とりあえず週末をもやもやせずに迎えるには、十分な情報が得られたので切り上げる。
そうこうしているうちに、4月になってしまった。 新しい年度が始まる皆さんは、年度末お疲れ様でした。 こちらは生まれて初めて、年度の切り替わりが4月ではない所属にいるので、新鮮な感じです。
*1:止血が必要なタイミングで、社会批判をするみたいなこと