ふんわり放牧

個人の日記です

寄せ書きと和解

友達が数年単位で海外に行くというので、その友達の周辺の人達で寄せ書きをするという話が回ってきた。

寄せ書きは苦手だなとなんとなく思っていたけれど、きちんと思考を整理して考えてみると、 自分が苦手なのは、学校の卒業のように毎年の恒例行事になっているようなイベントのときに、 他の人にも渡すからと(多分仕方なく書いたであろう)、特に仲良くもない皆様からいただいた寄せ書きだったり、 特に言いたいこともないけれど、「お世話になったから」と言いくるめられて付き合いで書いてしまった寄せ書きだったりする。

これまでの人生で何枚か色紙にもらった記憶はあって、その都度「こんなことを思ってくれてるのか」とありがたくも思ったのだけれど、 自分のコミュニティでの振る舞いの悪さが影響してか、当たり障りのない言葉が並んでたという記憶のほうが印象に残っている。そんなの書くくらいならやらなければいいのにと思っていた。 頂いた色紙は失礼ながら捨ててしまったかもしれないし、実家の奥底に眠っているかもしれない。 加えて人望の可視化が苦手というか、自分の人望の無さが可視化されるのが嫌だったんだと思うし、 それを他の人にもしたいと思えなかったのだ。

でも多くの人はそう思ってないみたいで、人がいなくなるときに寄せ書きを集めたがる。 子供の頃、自分も寄せ書きを書いて色紙を渡したお友達の家に遊びに行ったときに、学習机の正面上の棚の一番いいところに飾ってあって、色紙はこういう扱いになるのかと驚いたこともあった。 自分は自分のことが苦手なので、自分に対する(見かけ上)ポジティブなメッセージが並んだものを、恥ずかしくておいてられないなと思っていたのかも。

そこまで考えてみたときに、今回の相手は、1対1で遊びに行くことはなかったけれど、思い入れは普通にある相手だし、そこまでネガティブな気持ちにならなくてもいいんじゃないの?と思ったのだった。 付き合いで仕方なく書くような相手でもない、これは寄せ書きと和解だな。 そして、今回は日本国旗にメッセージを書くというので、それは愉快でいいじゃないかと思ったし。

これは不要で余計な心配かもしれないけれど、 海外で生活をするってのはやっぱり難しいところがあるなと仕事や私生活で関わる人達のことから思ってて、 文化や言語の差でバッドな気持ちに入ってしまうってこともあっても変じゃない。 そういうときに、繋がりとか楽しい気持ちを思い出させてくれる"何か"にフォールバックできるなら、それは助けになるかもしれないし、 今回送ったものがそのための鍵になるなら、それはそれで悪くないなと思ったのだった。

で、今日はその寄せ書きの書かれた国旗を持って、集まれる人たちが集まって成田空港まで見送りに行った。 国旗を渡すというのはスポーツ選手の日本代表のようで、 こんなの渡す瞬間を見ないと面白くないでしょ、と思ってしまったのだった。

最後に見えなくなるところまで手を降って、送り出すことができた。この先どうなるかわかんないけど、異国で一緒にビールが飲めたら最高だなと思った。

追記: 字が汚い、漢字を書くのが苦手など、手書きに対する嫌悪感もあると思います。。。