ふんわり放牧

個人の日記です

平和教育の思い出

過去の教育について振り返ると、右寄りの思想も左寄りの思想もバランス良く得ることができたかなと思っていて、 (ここでは思想としては左寄りの話になるのだけれど)そのような中でも、特に平和教育というやつは印象に残っている出来事が多い。 基本的には私や私の先祖は直接的な当事者ではなく*1、被害を受けた人間から話を聞くというアクティビティを受けることができた。 我々はしっかりとした話を直接聞くことができる世代だったのだろうと、今にして思う。

第二次世界大戦ベトナム戦争の被害者の話を聞くというのはどうしても印象に残りがちだし、短絡的に「戦争は良くない」「そのような選択は愚かだ」「個人が国を守ると思うのはどうなのか」「どうして軍隊だけでなく市民まで」などと感想文として書いた気もするが*2、 かつてそのような考えを是とする空間を同級生たちと共有したにもかかわらず、ロシアの進軍について、市民たちのウクライナでの防衛を良しと考える人々の主張を見て、 「個人が命を捨ててまで、国を守ることは愚かしい」という自分が受けた教育とのズレがあり、自分が内在化させた価値観は一体何だったのだろうか?という疑問を持った。

もちろん自分が受けたその後の教育や社会経験を考えると、短絡的な発想は理想論でしかないというところもあるし、 現実をどこまで理想の状態に持っていくか頭を悩ませることが、義務教育の先の教育の成果であるべきなのではないかという気にすらなる。 所詮、微積分すら習ってないような頃に受けた教育なんてのは、エッセンスでしかないしな、幼少期はそれくらいで丁度いいのかもな、なんてことを思い、思いついた疑問について考えるのをやめた。

今を思えば、公務員である教員たちがどこまで思想を伝えていたのか記憶は曖昧で、たまたまこの時期に流れるテレビ番組や『はだしのゲン』のような漫画などの周辺の情報から、感想文までを導き出したのかもしれないし、 というか、そもそも感想文なんてものを書かされたのだろうか。何もかもが曖昧である。人に会った、話を聞いた。これは間違いないだろうが......。 実際、あの当時の教育がどのような枠組みで行われたのか?彼らにはどのようなインプットまでを許容されていたのか?あたりは振り返ってみると、面白いのではないかなと思った。

*1:厳密には身内に戦争の被害を受けて亡くなった方はいる

*2:逆にここで例えば会場が靖国神社だったりすると、また別の感想を発してしまうだろうと思う