面接をしてもらう。過去の仕事の話やスキルについて話す。
Web上にこんな話を書くくらいだから、自己開示をすることは全く苦ではないのだけれど、 自分が用意した資料を起点に話をすすめるものだから、どうしても毎回似たような話になりがち。 似たような話を何回も繰り返していると、その瞬間は何も生み出していないが、話だけはうまく組み立てられるようになってきて、面接が終わったらかなり疲弊してしまう。 できれば仲のいい人たちだけに、ゆったりした気持ちで話したかったことを、 次会うのかすらわからない人たちに話すのは、いくらカジュアルな雰囲気を出してくれる方々が面接相手だとしても、どうしてもプレッシャーがある。 面接がふわっと「よかったね〜、楽しかったね〜」と終わればいいのだけれども、 選考なのだから相手の評価があり、合否の結果が返ってくる。 すぐにフィードバックがあればいいけれど、応答に時間がかかることで進捗が相手持ちになることも、こちらの心配事が一つあるという事実に変わりはなく、数日気になって過ごすこともあったし、 結果が返ってとしても、結果が良ければ嬉しい気持ちとと共に次の準備や調整があるし、悪ければそれはどうしてもやっぱり落ち込む。「やっぱりな〜」という気持ちになることも多いが、何が悪かっただろうかという思いになる。 こんな私みたいな人間にフィードバックを返す企業や担当者の方は本当に偉い。尊敬する。プロ以上の仕事をしている。めぐり合わせがあるのは仕方ないことだし結果は変わらないにしても、その言葉には相手のネガティブな気持ちを緩和させる力がある。そういう仕事が日々できるようになりたい。 そんなこんなでこの数ヶ月は毎日気持ちが上がったり、下がったりで、情緒不安定一歩手前のような感じ。 あちらは仕事で私は求職者なのだから、本当に仕方がないことなのだけれども*1。
本来は日々の仕事の中で、自分の仕事を開示してじっと結果を待つプロセスや、他人に自分の大切にしているものを話してみるという必要があったのだろうなと思う。 若干荒療治的ではあったが、社内で開講される全社員向けのコースワークよりも得るものはあっただろう。
自分には「やる気はあります」と言い、結果を出すことができなかったというつらい過去があって、 そのことを振り返って「自分はサイコパスなんじゃないだろうか」と思ったこともあり、さらにつらい気持ちになったときもあった。 このような面接の場では嘘はついてないつもりだが、言っているうちに嘘を本当のように言っているような感覚になってしまっているのではないか、とか。 そういえば以前、同僚にそのような話をしたとき、それはサイコパスじゃないよと言われたので、ならそれはそうなんだろうが。そんなことを思い出したりしていた。
学生時代は、就職活動が人生で一番楽しい出来事だったなと思っていた。 選考に進むプロセスは承認欲求を満たす場だったし、自分の可能性を探るという自己発見にもつながっていたし、いろんな会社のいろんな話が聞けて本当によかったのだ*2。 今回はどうも調子がそこまでではなくて、決して困難なプロセスだったとは思わないし、 理不尽さはなく、様々な仕事がある面白さを感じるのは相変わらずだが、 この活動自体にめちゃくちゃな面白さを感じるということはなかったなと思う。 基本的に面接の場は、新たな困難な問題に取り組むというよりも、自分のやってきたことの再演という感触が否めないし、 もちろん刺激的な方との話の場はあったのだけれど、逆に尻込みしてしまったりとか。。。そういう個別のいい話とかはあるんだけれど。
もうめんどくさいから、「ヨヨイさん、アイコンが可愛いから、採用!」みたいな感じになってほしい
— DJ奈良時代 (@_nhayato) 2022年3月25日
つまり何が言いたいかというと、もう面接を受ける必要がなくなったということで、それはとても清々しい気持ちでもある。 当初の想定よりは早めかなと思いつつも、暖かい格好で外に出ると汗ばんでしまう季節になった。