ふんわり放牧

個人の日記です

信頼して、期待しない

他人と暮らしたり仕事をしたりするときに、最近こういう感じだなと思っていることがあって、 それは「信頼して、期待しない」というスタンスである。 他者に対して必要以上に信頼はするものの、自分の予想以上にパフォーマンスが出ている状況であるという期待を、その個人にはしないという感じ。

自分自身も含めて、「何もかもすべてうまくいく」みたいなことはあまり起きなくて、 だめパターンとよいパターンの繰り返しが多い。たまたまよいパターンのほうが勝ってるみたいなことが起きてたから、 心身ともに健康でそこそこいい感じで社会参加ができている、みたいな状況認識。 欲を出せば、改善点は目につくし、上は目指すだけあると思うし、もちろん視界には入ってないわけじゃないんだけれど、 高い目標を現状を考慮せずに期待値として設定してしまうと、失敗したときに無茶苦茶辛くなってしまう気がする。

他の人に対してもそうで、最初からあまり期待してない状況だと、 「まぁ、そういうこともあろうね」「いろいろと事情があるのだろう」とそこそこ寛大な気持ちになることができる。 その期待のレベルを超えるために、こちらで手順を用意して何もかもお膳立てをして失敗しないようにし、 もしその期待値が超えられそうにない人がいれば、こちらから排除する(=安全さを求める)というプロセスは、 やることの内容によれど、時代に合わないという直感がある。 個人の特性はいろいろあるし、人はヒューマンエラーのようなものも含めて失敗をするので、期待すべきは個人ではなく仕組みのほうなんじゃないの?と思う。 最初はとりあえず信頼しつつも、成功ラインをめちゃくちゃ低くする。 でもその成功ラインを軽々と超えるからと言って、簡単には期待しないというのが精神衛生上いいのかな〜みたいなことを最近は思うようになった。

あー、でも、ピグマリオン効果*1という言葉もありますね。 そういえば私は今年の新入社員のメンターをしていたのでした。 私は今年入社したすべての新入社員について信頼しているし、そして、他の人よりかは非常に期待していますよ。たぶん。

*1:その研究の妥当性についてはともかく