かつて購入した本を読んでいる。
- 特定の宗教の信者や宗教に関する学部で学んだ友人たちはいるが、自分自身は特に深い思い入れもネガティブな感情もない
- 宗教は面白そうな学問分野や社会現象の一つという認識
- 聖書も手にとったことがないと思う
- 受験科目として倫理を履修した程度の認識しかない
- 帯に「池澤夏樹、内田樹、橋本治ら、すぐれた読み手たちがその魅力を語る。」とある
- 各章の分量はまちまち
- 世界史の知識がないことが、読みすすめていく上ではかなり厳しい
- ソフトウェア開発の文脈や会社の政治/力学においても、イデオロギーや宗教というワードは出てくるし私も出してきたが、歴史の重みが違うなと思う
- 例えば、ある施策をした人が在籍中はその施策の批判ができない、とか、ある開発手法を導入する際のゴタゴタ、とか、そういう話
- 導入者の影響力がなくなって初めて批判を目にするが、それもまたイデオロギーにまみれているため、クリティカルではないみたいなこともある、とか
- 新しいものを導入するときに、他のところから持ってくるとなると参考にするのは、そのやり方に関する論文だったり書籍だったり規格書だったりするのだが、それは聖書に似た側面を持つのでは?
- ある経験を持ってして、人々が伝記のように記述することや、本当のところはわからないよねというスタンスだったり、「いやいやこの文書は神(権威)によって書かれたものだから一字一句誤りはない」ということを主張する人など
- 文書が、組織の権威付けのために使われるということはよくあることで、その手の類似性を「オレオレ社会学」として見出すことは思考実験としては面白い
- 例えば、ある施策をした人が在籍中はその施策の批判ができない、とか、ある開発手法を導入する際のゴタゴタ、とか、そういう話
そんなとこです。