ふんわり放牧

個人の日記です

下書き供養: なぜ会社を辞めないのか

2018年から2019年頃に書いた下書きを見つけた。国外就労の話を持ってきたりしていて、話の持っていきかたが「どうかな?」と思うところもあるんだけれど、今読み返しても面白いなと思ったので、投稿する。 読みにくいところを少しだけ修正しているが、基本的にはそのまま出している。そして、今の私とは意見が異なる。脚注でツッコミを入れようと思ったが、なんか野暮だなと思ったのでやめた。


私の(元)同僚と思われる人がが書いた退職エントリーや在籍エントリー(で合ってるのか?)がバズっている. 会社の評判については,ブログエントリーだけでなく中の人に直接聞いたり,Vorkersや転職会議などの会社評判サイトやMyNewsJapanなどを見るべきだと思っているが,話題にされているうちが花である,話題にしていただいてることは,何にしてもいいことだと思う.基本的にはどんな情報も外部に出せるものは出してしまったほうがいいと思っているし,それで社内外,考えが深まるならそれでもいいと思っている.会社について書かれた情報はいくつか誤りもあると思って考えるのがいいと思っていて,それは個人の認識誤りや所属する部署や上司による差によるものだと思っている.ある一つの情報だけを取り出してすべてを語ることほど愚かなことはないと思うけれど,だからといって鬼の首を取ったようにある一つの情報を否定するのも間違っていて,ソースの一つとして扱い,複数の情報から傾向をつかめれば,それはいい分析結果を導いてくれる可能性があると思う. 社内でも「45歳以上再配置に関する記事」に加えて,この件について話題にしている人はそれなりにいて,それぞれの立場から好きなことを言っている人が可視化されている.私は残された人たちが何をするかということについて嫌でも考えさせられるし,自分の所属が何ができるかということに意識が持っていかれて困るくらい.

以下は自分の思考をまとめたもので,特に他人に対してこうあるべき押し付けるものではないし,自分のことを知らない人に向けられてわかりやすく書かれたものではない.こういうことを考えながら仕事をしているよという独り言のようなもので,たまたま見つけた人のうちの何人かが,面白がってくれたらそれでいいと思っている.話題の性質上,所属する組織に関係する事柄も含まれるが,組織を代表する意見ではないし,私の考えの現時点でのスナップショットであるため,一年後には主張内容が変わっている可能性が十分ある.

  • 研究所に勤務して5年が過ぎた
  • ソフトウェア工学分野(SE; Software Enginngering)の研究開発を行う部署に配属されている
  • 会社について考えるとき,私は給与は必要であるが,配偶者の給与所得もあるため,再優先事項ではない
  • 研究員としては素行の良い方ではない自覚はあって,わりと下っ端研究員として社内の開発などをしつつも,ゆるゆると国内研究会や国際会議のワークショップに参加している
  • 出身大学院は情報系とはいえ,研究分野としては分野外から来たというのを免罪符にしていたが,業界歴も長めになってきている
  • 職場というか,会社に対する気持ちは中立を保っていたいと思っていて,所属するから情がわくということはあってはいけないと思っている
  • 一方でチームに対しての気持ちはそれなりにあって,ここに対しては最低限誠実にやりたいと思っている
  • 基本的なスタンスは,社内の困りごとを直接解決したり,間接的に解決できるように手助けする役割だと思っている
  • 場合によっては自社のお客様と仕事をするということもある
  • 私がやっていることは民俗学社会学ではないので,現時点では対象に対して過度に保存の意識をする必要がない

知人に日本に見切りをつけて,国外で就労していたり,就労をするために活動している人が何人かいる. 知人はそれぞれ理由があるとは思うが,「今後経済成長が大きく見込めない国に居続ける意味はない」と言われればそうかもしれないし,私も国外で仕事を探したほうが,先々ご利益が大きいのかもしれないと思ったことがある. 一方で旅行や出張などで国外に行ったことがある人たちは「やっぱり日本がいいよね」なんて言ったりする.それは食事だったり医療だったり治安だったりいろいろあるのだろうが,メリットとデメリットを天秤にかけてメリットが勝っている様子が見て取れる.数年海外赴任をしていた人たちも「日本がいい」という話をすることがある.

私は東京生まれではなく,地方生まれ地方育ちであり,実家の祖父祖母の代までは第一次産業に従事していた.ここからは仮定の話だが,もし私の祖父や祖母に学業を軽視する気持ちがあれば,父はそのまま第一次産業に従事していた可能性はあるだろうし,そうなると私が生まれていたとしても,今でも実家で情報系の分野とは無縁の生活をしていたかもしれない.ちょっと想像できない. そういう意味では,自分は第一次産業を実家に残してやってきた出稼ぎ労働者の2世だし,日系2世の自伝を読んでグッとくるのも自分のルーツによるものなのかもしれない.ジョージ・タケイの自伝はいいぞ. 高校まで地方にいたが,同級生に「どうして都会に行きたがるのか,近くの街でいいじゃないか」と言われたことを今でも思い出す.彼ら・彼女らにとっては今でも東京は遊びに行くところだし,働きに行くところではない,と.

私は地方に所属するメリットよりはデメリットのほうが勝っていて,国外に移住するデメリットよりメリットのほうが勝っているという状態なのだと思う.そして(会社組織への)所属についても同じで,他社に転職するメリットよりもデメリットのほうが勝っている.コンフォートゾーンのスコープ問題と思える. これが正しい考え方かどうかは怪しいのだけれど,国に所属することも,地域に所属することも,会社に所属することも,そのなかで社会を構成するという点ではやってることは変わらないと思っていて,今の時代は最適な所属を簡単に探せることができる.本邦においては移民問題も他国に比べると表面化していないしね. 職場についても同様で,退職者が何を言おうが,満足できなかったということでしかないし,それをどう思うかは人それぞれ,個人的な問題なんじゃないのと.

さて,そうなると私にとっての職場に対するメリットはなにかというと,はっきり言えば大学院1年生の気持ちでずっと仕事ができるという点. 大学の先生に一回「一番良かった時期はいつか」と聞いたところ「大学院博士1年のとき」と答えた話を思い出す. 学位論文のことも業績のことも意識せずに暮らせるのは本当にいい時期だし,修士1年のときがある意味楽だった. それが今でも続いていて,そんな感じでやってたらなんと給与も振り込まれる.しかも同世代の平均以上! はっきり言って仕事をしているという感じでやってないし,大学院の延長でやらせてもらってるという気持ち. もっと成り上がりたいとか金がほしいとかそういう欲はなく,穏やかに健康に,そして適当に会社に行けば自分の興味のあることができるという点で何ものにも代えがたいと思っている. 会社だけでも一つの町くらいの規模はあって,しかしその規模で仕事を回している. おもしろ社会見学だと思っているし,そんなつもりでやってたら問題が見えてきて,自分が手を動かしたら解決できたらラッキーじゃん,そんな気持ちですわ.

もちろん諸行無常という言葉は知っていて, 経営者が変わってしまうというリスクもあるし,投資に見合った分だけ価値を生み出していないと思われれば配置転換もあるだろうと思う.私は博士号は持っておらず,新卒カードで入社したクチなので,転職で他社で似たような職にありつける可能性は低いという自覚もある. 私は本当に運が良かったと思うし,自分よりもスキルや才能のある人たちが自分よりも不当な環境で仕事をしていることについて,自分ではない人が今の仕事をこなしたほうがいいのでは?と悩んだこともあるが,すべての人を救うのは難しく,そして私は宗教家ではないため,正直どうしようもないので,自分に与えられた役割と見える範囲だけでもなんとかするという発想に切り替わった.

あまりギャンブルは好きではないし,知らないので適切なメタファーではないかもしれないけれど, 仕事は賭けだと思っていて,うまく当たれば勝ちだし,当たらなければ失敗.研究開発もまずはそれくらいでやってると思えば気分が楽になるのかなと思う.