ふんわり放牧

個人の日記です

近況

お元気ですか? 東京地方は日々の寒暖の差が激しく,先週は急激に寒くなったかと思えば,今週は非常に暖かくという日々の繰り返しです. 幼少の頃から季節の変わり目は体調を崩しやすく,ここ数週間は仕事の進捗も芳しくなく. 「あぁ,冬は嫌だなぁ」と思っております.

さて,近況報告と本の紹介です.

Javaと私

面白かった出来事の報告ですが,ある日は社内でプログラミング言語Javaに関する簡単な試験を受けていました.

我が部署においてはJavaは第一級言語であることは疑いもなく[要出典], 多くの同僚が「Javaはできて当然だよね」という雰囲気を醸し出しているのですが, 残念ながら私ははっきり言って「かなりわからない」. 私のJavaに対する思い出は,学部2回生の頃に受講した『オブジェクト指向』という授業で触れた程度. 入社以降,仕事でもJavaソースコードと戯れることはこれまでもあったのですが, まぁなんというかその場のノリでやり過ごしてしまっていたという事実もあります. そんなこともあって,「次,Javaの案件が来たら,すべての業務をストップさせて学習に振ろう」と心に決めていたのですが, 今回とある事情で試験をうけることになりましたので,試験勉強をしていました.

しかし,解析対象のドメインについてどこまで知ればいいのか,できればいいのかというのは意外とどこでも聞く話です. 数年前,京都の三条大橋近くの餃子屋にて同業者と, 「ソフトウェア開発の支援を行う際に,支援対象となる言語に対するスキルはどこまで持つべきか」 という話題について,それなりに話していたことを思い出します. 利用者としては,ツール提供者はプロフェッショナルであってほしいと願うものの, 現実には,提供者は現場の人のスキルに敵わないところもあり, かといって,全く知らぬ存ぜぬであると何も提供することができなくなるという.

昨日どこかのブログで話題になった,Google翻訳などでもおなじみの統計的機械翻訳においては, 研究開発者は,原言語と目的言語を操れる必要はないという話を聞いたことがあります.

しかし,文章が何語で書かれているかという「言語判定」のタスクを機械で解かせようとする際には 研究開発者は,言語に対する知識がないとやってられない,と, 複数の言語を学習したと言うような話を記憶して*1います.

「必要になったらやればよい」というのはビジネスパーソンの学習の原則ではあり, 知識と運用スキルは違うという話もありますが, 言語は一朝一夕では学べるものではなく,身につけるのはさっとできるわけではありませんし, 言語というものの特性上,知識と運用スキルは地続きになっているという認識があります. ITエンジニアの(自然言語の)リンガフランカたる英語を学ぶように システムエンジニアの大多数が学ぶJavaも最低限学んでも良いかなと思ったわけです.

結果については残念ながら「故郷に錦を飾る」とまではいきませんでしたが, 自分自身の知識・スキルの見直しにもなり, また最低限の面子を保つことはできたかなと思います*2

参考書籍

スッキリわかるJava入門 第2版 (スッキリシリーズ)

スッキリわかるJava入門 第2版 (スッキリシリーズ)

スッキリわかる Java入門 実践編 第2版 (スッキリシリーズ)

スッキリわかる Java入門 実践編 第2版 (スッキリシリーズ)

上記の二冊を利用し,基礎を抑えました. この書籍は,私の尊敬する先輩の一人,ボルチモア先輩がご自身の管理されるウェブサイトに, おすすめ書籍として紹介されていた記憶があり, また私の記憶が正しければ,ご自身もこの書籍で学習されていたようですので, 安心して学習をすすめることができました. 確かに納得のわかりやすさ.『たのしいRuby』に近いものを感じました. 著者が語りかけてくるタイプの書籍や対話形式が私は得意ということもあるので, この形式が苦手な方は気をつけたほうが良いかもしれません.

改訂2版 パーフェクトJava

改訂2版 パーフェクトJava

上記書籍は試験の前に読み返しました. こちらはプログラミング経験者向けの書籍になっており, 別の言語のパーフェクトシリーズにはお世話になった記憶があります. もしかしたら「スッキリ」シリーズではなく,こちらを選んでも良かったかもしれません. リファレンスマニュアルに近いものもあるため,飽きてしまう可能性もありました.

EFFECTIVE JAVA 第2版 (The Java Series)

EFFECTIVE JAVA 第2版 (The Java Series)

これを読まなければ仕事でJavaを書くな!という方もいらっしゃるくらいの書籍. 確かに躓くポイントがたくさん示されているので,仕事でソフトウェアを書く前には読みたいなと思える雰囲気です. 私は目次を眺めて「今回は違うな」と思いました.

言葉と私

学生時代の不勉強さのつけが今になって来ていることは言うまでもないのですが, この1年のある日,自分自身が興味があること・あったことは一体何だったのかということが瞬間的に気づく体験をし, それがわかった瞬間から,フッと楽になったということがありました. 相変わらず言語は僕の趣味的な興味の一つであり,それが元で仕事にもなっている自覚があります. 昨年のある日に,雑誌『WIRED』の「ことばの未来」という特集を読んだことがきっかけのようです.

そこの中で紹介されていた言語に関する書籍をいくつか手にとることで,冬を乗り切りました. 多和田 葉子『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』で自分の使う言葉の感覚をまず知りました.

次に,次の言語とその環境に関する書籍,2冊に手を出しました. ガイ ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』や 今井 むつみ『ことばと思考』では使う言葉が考え方にどう影響するか, 前者は歴史を踏まえて丁寧に,後者は非常にわかりやすく書かれています.

この2冊については, 「私のプログラミング言語公用語Rubyである*3」と自認する私と非常に相性の良い書籍たちで, Rubyにあてられた人は思い当たる節があったり,感覚的に腑に落ちるところがあるのではないかなと思っています. ここから「そうだ チョムスキー,行こう」「なるほど,スティーブン・ピンカー」と意気込んだは良いものの, それから何一つ進んでいません.

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)

同時期に読んだもので,非常に面白いのは小島 剛一『トルコのもう一つの顔』と『漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」』 前者は90年代に発刊されたトルコの国と方言に関するルポかつ摘発本であり,下手な小説よりも手に汗握る展開で非常に面白い. 後者はその続編.なんというか勢いは落ちた気がするものの,続きが気になっていたので,これもまた良しという気持ちになれます.

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

あーあー,あと忘れるところでしたが, ダン・ジュラフスキー『ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史』も冬が開けてから読みました. 別のジュラフスキーらの本は,そう,まぁなんというかいろいろあって,最初から最後までは読んでないのですが, 今回紹介するこの本は言葉と食べ物,どちらかにとても興味があって, もう片方もまぁ嫌いじゃないくらいの感じなら読んでも良さそう,くらいのおすすめ度. どっちの知識もないと,読み切るのは正直キツい印象を持ちました. 米国西海岸の人には若干偏見があって,美食家が多い印象があり,「ジュラフスキーお前もか」と, 多分,到達するまで3ホップ以内であろう偉大な先生に対して思うわけです. あと,原著と訳本でタイトルの雰囲気が異なるのは,これでいいのか?

ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史

ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史

さて,突然音楽の本の話をしますが, 音楽を使った授業?ワークショップ?の記録である, 大友 良英『学校で教えてくれない音楽』もこの話に(僕の中では)関連しています. この本はこの本で非常に面白く,おすすめな本なのですが, この本のあとがきで,田中 克彦『ことばと国家』が紹介されており, 読んでみたところ「なーんだ,結局ヨーロッパお前らもか!」という気持ちになったのでした. ちなみに『ことばと国家』は他の本に比べると私は読みにくく感じました. うーん,なんでだろう.

ことばと国家 (岩波新書)

ことばと国家 (岩波新書)

おわりに

言語に関する書籍の探索は,友人のid:mitsuba3と話したり情報交換をすることで達成することができたのでした. これまで,他者とお互いの興味がぐぐっと近づくという体験はあまり多くなく, これはなんというか,「ランデブー」という言葉が近い今となれば思うわけです. そのようなかたちで自分の興味があるものを引き寄せるには, 普段から意識したり,人に伝えておかないとなかなか運が向いてこない感覚があります. あまり一冊一冊について深掘りはしませんでしたが, 人の何かの手助けになればと思い,書いてみました. また,面白い本があったらぜひ教えてください.

そして,先日,前の所属の先輩とビール飲酒に行ったところ, この辺の話をいくつかして非常に面白かったので,誰かまたしよう.

それでは,お元気で.ごきげんよう.

*1:記憶が薄れている

*2:まぁ,上司がそれで満足しているかというと,かなり怪しい

*3:母語はCですが

日本UNIXユーザ会2016年度定期総会併設勉強会「Unix考古学の夕べ」に参加した

銀座松竹スクエアのドワンゴで開催された,日本UNIXユーザ会の併設勉強会に参加した. 友人の一人がこの会に関わっているので,招待していただいた.

日本UNIXユーザ会2016年度定期総会併設勉強会「Unix考古学の夕べ」 - 日本UNIXユーザ会 | Doorkeeper

テーマは「Unix考古学」. Unixに関する歴史的な話題が聞けるかと思って行ったら,Multicsの話を聞いていた気がする. MulticsUnixMulticsに対しての命名だったということくらいしか知らなかったので, 単語分割はできるが未知語が多い他分野の発表を聴くという感じになってしまった.

それではまったく関心がないかというと,そんなことはないと思っていて, これでも計算機屋の末席を汚しているので,計算機屋として国内外の歴史については意識はしてしまうし, ベイエリアに出張で訪れた際も,UC Berkeley や Computer History Museum に訪れるくらいにはミーハーのつもりだったのだが, しかし,その時代を生きていないことや,その時代の計算機を触ってるわけでもないので, どうしても中途半端なものになるということを実感した. 他の参加者が特にメモを参照せずとも,記憶から引っ張り出せるところは凄まじいなと思う.

講演の後に行われた座談会では, 国内の計算機や計算機メーカの話題,当時の大学での話などで盛り上がっていた. ここでも発言することはできず,残念...... この時は既に(半分冗談だが)社会学者の気持ちになっていて, 自分の知らないコミュニティにおじゃまするという気分だった.

入社以来,40歳前後から年上の元マイコン少年少女と話すと,私の知らない言語やマシンの名前が出てきて 「どうしてこの人達は自分の使ってない計算機についても,ここまで詳しく覚えているのだろう」と不思議に思いながら, その都度Wikipediaで調べるということを繰り返し,自分の頭のなかでまったく年表ができていないことに愕然とするのだが, 時間軸・ラインナップの軸それぞれについて,問題空間の広さが同定できてないことが原因なのではないかと思ったりした. 「今時の若者は○○も知らななくて,けしからん」と非難されることはなく,むしろ喜々として説明する方が多いので, 話についていけなくて申し訳ないなと思うのだけれども, 昔の環境に関する好事家でもなければ,その時代を生きてないのだから仕方ないと割り切っているところもある.

本会,平成生まれは見たところ1名のみという感じだったが, 年齢は特に関係なく,会場は情報系勉強会の雰囲気そのものなので,特に気にならなかったという感じ. まぁ知識量や経験ではまったく敵いませんが......

懇親会,昨日の会も2次会まで参加してしまったのでどうしようか迷ったのだけれど, 「学生は行くべき」とか言ってる人間が,初めてのコミュニティで尻込みしてるのもどうかと思ったので参加することに. 結果としては面白い話が聞けたし,こちらもそれなりに話をした気になり,気分よく帰ることができた.

ICSE 2016 勉強会に参加した

表題の通り,大岡山の東京工業大学(東京会場)で開催された,ICSE 2016 勉強会に参加した. 国際会議のICSEの論文を1本2.5分で発表する会.

私はSoftware Quality のセッションの紹介をしたが, 私がまだまだ重要な事とそうでないことの区別がついてないようで,時間も2.5分の制限がありと, かなり焦って発表してしまった. まだまだ精進が足りないなとは思いながらも, 重要だと感じたところはきっちり詰め込んだつもりなので,研究者や実務家の方が読むきっかけになればと思う.

当日は,大学院同期とのチャット,TwitterのTL,会社のチャットや感想メモのスプレッドシートを並列して書いていたため, 最後の方はかなり疲れてしまった. おかげで値落ちで聴き逃しは一件もないが,集中できなかった論文はいくつかあった.

一緒に参加した同僚とは,どのような態度で論文を読むかという話をしたし, @katryo さんとは昼食時に,いくつか興味深い話を聞くことができた. 懇親会では,大学の先生方や企業で研究や開発をされている方々と様々な話ができたのも良かった. アルコールを飲まなくてもいいので,学生の方にはぜひ懇親会に参加することをおすすめしたい.

昨年はサボっていて参加できなかったので,「今年は必ず」と思っていたことが達成できてよかったし,来年も発表したい. また,本発表を元に,来月に日本マイクロソフト様で開催予定のsigpxで何か話ができればと思う.

社でやってたイベントに参加した

概要

社でやってた勉強会的イベントに参加した. 社内であったことは基本的に書かないことにしているけれど, いろいろと思うところがあったので書いておく. 当然ながら以下の文章は個人の意見であり,組織を代表するものではなく,責任は私にある.

本社の改善的なアクティビティを主務にしている部署が主催で, 外部の講演者を呼んで講演やパネルディスカッションをした. マウンテンビューの方や松江の方,二子玉川の方,あとは西新宿の方などがいらしていたし, 会社からもLinuxやOpenStack関係の開発者やマネージャが発表していた.

会社の人,会社自体は大きい会社だけれど,目立つ人は目立つというか, 有名な人は有名だな(Twitterにおけるフォロワー数が多いとかそういう指標はないのだけれど)ということを思う.

当日の内容

テーマはオープンソースソフトウェア (OSS)で,「それ,何回目の話やねん」「今更遅すぎるのでは?」ということを思うわけだが, 社の抱える問題として,製品・サービス開発にOSSを利用し,サービスとして提供できている部署や人たちがいる反面, OSSに否定的ではないにしても,どう関わればいいのかわからない開発者が多いという問題がある. Web業界の人が聞くと驚くだろうが, これは別に弊社に限った問題ではなく,同じ業界の友人からも聞く話題で, こういうふうな社内外での勉強会を開催したり, いくつかのOSSコミュニティは,コントリビューションに関する手ほどきの会を提供しているのだろう.

松江の人の基調講演的なものは,どこの発表よりもプリミティブなものだったし, パネルディスカッションもなかなか面白かったと思う.

いくつか思ったこと

話をややこしくさせていると感じたことの一つに, 「OSSの問題」と言い切るのは簡単なのだけれど,実はOSSの問題ではない問題もあると思っている. 今回もそもそもの主題や問題提起がふわっとしていたこともあって, 登壇者(パネルディスカッションのファシリテーターも含む)は非常に苦労したのだろうなと思う. もっとも,組織や人間の抱える問題は単純ではないと私は考えており, その問題について,きちんと考える時間や発表する責任を持っていない人が,いきなり表現できることではないと思っている.

講演者の誰かが言ってた「好きなことをやろう」「仲間を集めよう」的なのは,最近非常に思うところで, 言語を作るときや巨大なOSSに取り組むときにどうやって(ゆるやか・組織の壁を超えた)にチームができていったかというのは, 面白かった.

勉強会に対してアグレッシブな人たちについて「こういう場に集まる人達」という言葉を言う人がいるけれど, たまに面白げな会に集まる人たちと,何があっても絶対来ない人がいる気がしていて. 私も学生時代から,忙しくなるとミーティングやTalkに行かなくなる傾向がある.

「直接的に良いことがないと,勉強会に行かなくなる現象」は短期的には仕事が進んで良いが, 長期的には自分にマイナスになる不安がある. 勉強会,「友達に会いに行く」というところに焦点を当てると「行きたくねぇなぁ」みたいな気持ちは晴れるのだろうか.

とある,社の人は「会社の枠組みに乗ってしまうと,面白くなくなるので,枠組みがないところで遊ぶのがよい」と言っていて, いろいろな考え方があるなと思ったことを思い出す.

講演者の都合上,英語発表やディスカッションもあったのだけれど, どうも日本語話者の発表はテンポが悪い感じが否めなくて, 言語の問題もあるし,お作法の問題もあるなということを思った.

しかし,英語話者が英語を使ってディスカッションをしていても, お互いのバックグラウンドの探り合いをしていたり,当たり前のことを話し合うシーンもあるので, 人間が発話において交換できる情報量というのは,限界があるのではないかなと思ったりもする.

おわりに

なかなか面白みのあるイベントだったのだが,自分自身がどう関わればいいかわからないところもあった. この話を社内に投稿しても良かったけれど,別に問題がある話はないし,ここに書いておく.

こういうのは,何も言わずに帰るのが最悪で, 一応質問をして場には貢献したつもりになっているけれど, コミュニケーションを自分から起こす気にならず. どうしても講演者と聴講者みたいな感じになってしまうのが残念.

あの会場,椅子が悪いのはなんとかならんもんかな.