ふんわり放牧

個人の日記です

『はじめて読む聖書』読んだ

かつて購入した本を読んでいる。

  • 特定の宗教の信者や宗教に関する学部で学んだ友人たちはいるが、自分自身は特に深い思い入れもネガティブな感情もない
    • 宗教は面白そうな学問分野や社会現象の一つという認識
    • 聖書も手にとったことがないと思う
    • 受験科目として倫理を履修した程度の認識しかない
  • 帯に「池澤夏樹内田樹橋本治ら、すぐれた読み手たちがその魅力を語る。」とある
    • 自分より上の世代の方にはグッとくる人選だと思う
      • 久々に橋本治さんの書いたものを読んだけれど、文章のリズム感については「そうそう、こういう感じだったよな」という印象を持った
    • 一人ずつ一章ごとに聖書に関する語りが書かれている
      • 新書なのでお手軽に読める
      • どのように聖書を読めばいいかという内容ではなく、各々の個人的な体験が書かれたアンソロジー的なもの
        • ブックガイドなどはあるのでタイトルに見合った情報は最低限はある
  • 各章の分量はまちまち
    • 一番読みごたえのある章は、田川建三さんの「神を信じないクリスチャン」で、どのようにして聖書学研究を始めたかというストーリーが書かれている
      • キリスト教との出会いから東大入学後、教員になっていく過程について
        • ヨーロッパだけでなくアフリカの大学でも教鞭をとられた経験などはもう少し詳しく読んでみたいところ、本人の著書が詳しいだろうか?
      • 歴史を紐解いて学問として追求することと、バチカン教育機関としての大学との方針が対立することがあったことなどは面白い
        • そういう時代でもあったという見方もできる
  • 世界史の知識がないことが、読みすすめていく上ではかなり厳しい
    • ローマ、ギリシャなどなど
      • 今は面白いマンガやWikipediaがあるのでいいんだけれど、流れとしてわかってない感じがある
    • 自然言語周りのことをやってても、このあたりが甘いことがキツイなーと思っていたことを思い出した
  • ソフトウェア開発の文脈や会社の政治/力学においても、イデオロギーや宗教というワードは出てくるし私も出してきたが、歴史の重みが違うなと思う
    • 例えば、ある施策をした人が在籍中はその施策の批判ができない、とか、ある開発手法を導入する際のゴタゴタ、とか、そういう話
      • 導入者の影響力がなくなって初めて批判を目にするが、それもまたイデオロギーにまみれているため、クリティカルではないみたいなこともある、とか
    • 新しいものを導入するときに、他のところから持ってくるとなると参考にするのは、そのやり方に関する論文だったり書籍だったり規格書だったりするのだが、それは聖書に似た側面を持つのでは?
      • ある経験を持ってして、人々が伝記のように記述することや、本当のところはわからないよねというスタンスだったり、「いやいやこの文書は神(権威)によって書かれたものだから一字一句誤りはない」ということを主張する人など
      • 文書が、組織の権威付けのために使われるということはよくあることで、その手の類似性を「オレオレ社会学」として見出すことは思考実験としては面白い

そんなとこです。

転職活動をしておりまして(その六)

面接をしてもらう。過去の仕事の話やスキルについて話す。

Web上にこんな話を書くくらいだから、自己開示をすることは全く苦ではないのだけれど、 自分が用意した資料を起点に話をすすめるものだから、どうしても毎回似たような話になりがち。 似たような話を何回も繰り返していると、その瞬間は何も生み出していないが、話だけはうまく組み立てられるようになってきて、面接が終わったらかなり疲弊してしまう。 できれば仲のいい人たちだけに、ゆったりした気持ちで話したかったことを、 次会うのかすらわからない人たちに話すのは、いくらカジュアルな雰囲気を出してくれる方々が面接相手だとしても、どうしてもプレッシャーがある。 面接がふわっと「よかったね〜、楽しかったね〜」と終わればいいのだけれども、 選考なのだから相手の評価があり、合否の結果が返ってくる。 すぐにフィードバックがあればいいけれど、応答に時間がかかることで進捗が相手持ちになることも、こちらの心配事が一つあるという事実に変わりはなく、数日気になって過ごすこともあったし、 結果が返ってとしても、結果が良ければ嬉しい気持ちとと共に次の準備や調整があるし、悪ければそれはどうしてもやっぱり落ち込む。「やっぱりな〜」という気持ちになることも多いが、何が悪かっただろうかという思いになる。 こんな私みたいな人間にフィードバックを返す企業や担当者の方は本当に偉い。尊敬する。プロ以上の仕事をしている。めぐり合わせがあるのは仕方ないことだし結果は変わらないにしても、その言葉には相手のネガティブな気持ちを緩和させる力がある。そういう仕事が日々できるようになりたい。 そんなこんなでこの数ヶ月は毎日気持ちが上がったり、下がったりで、情緒不安定一歩手前のような感じ。 あちらは仕事で私は求職者なのだから、本当に仕方がないことなのだけれども*1

本来は日々の仕事の中で、自分の仕事を開示してじっと結果を待つプロセスや、他人に自分の大切にしているものを話してみるという必要があったのだろうなと思う。 若干荒療治的ではあったが、社内で開講される全社員向けのコースワークよりも得るものはあっただろう。

自分には「やる気はあります」と言い、結果を出すことができなかったというつらい過去があって、 そのことを振り返って「自分はサイコパスなんじゃないだろうか」と思ったこともあり、さらにつらい気持ちになったときもあった。 このような面接の場では嘘はついてないつもりだが、言っているうちに嘘を本当のように言っているような感覚になってしまっているのではないか、とか。 そういえば以前、同僚にそのような話をしたとき、それはサイコパスじゃないよと言われたので、ならそれはそうなんだろうが。そんなことを思い出したりしていた。

学生時代は、就職活動が人生で一番楽しい出来事だったなと思っていた。 選考に進むプロセスは承認欲求を満たす場だったし、自分の可能性を探るという自己発見にもつながっていたし、いろんな会社のいろんな話が聞けて本当によかったのだ*2。 今回はどうも調子がそこまでではなくて、決して困難なプロセスだったとは思わないし、 理不尽さはなく、様々な仕事がある面白さを感じるのは相変わらずだが、 この活動自体にめちゃくちゃな面白さを感じるということはなかったなと思う。 基本的に面接の場は、新たな困難な問題に取り組むというよりも、自分のやってきたことの再演という感触が否めないし、 もちろん刺激的な方との話の場はあったのだけれど、逆に尻込みしてしまったりとか。。。そういう個別のいい話とかはあるんだけれど。

つまり何が言いたいかというと、もう面接を受ける必要がなくなったということで、それはとても清々しい気持ちでもある。 当初の想定よりは早めかなと思いつつも、暖かい格好で外に出ると汗ばんでしまう季節になった。

*1:それが嫌ならば転職活動などせず、今の所属に居続ければいいのだから

*2:学生時代は承認欲求を満たされることが組織内ではなくて、外に出て評価/期待されて、嬉しいという気持ちがあったと思う

配送

出社してたころ、日通NECロジスティクスのトラックが会社に入っていて、 「おっ、NECじゃん」ってなった。たまに来てたんだよね。 同僚も同じことを言ってて、それは笑った。

社内では歴史的経緯でDHLのトラックを見ることが多いけれど、 直接DHLの人からものをもらったことってあまりない気がする? 会社から荷物を自宅に配送してもらったとき、自宅にDHLの人が来るかな〜と思ってワクワクしてたんだけれど、 DHLじゃなかったので、残念な気持ちになった。

CRAFTROCK FESTIVAL ’22 行った

立川ステージガーデンで行われた音楽フェスである、CRAFTROCK FESTIVAL ’22に土曜日だけ参加した。

自宅から立川はまぁまぁ遠いので、早めに家を出た。 朝ごはんを食べていなかったので、立川駅のグランデュオに入っているSestoというパン屋さんで朝食。美味しかった。

立川に行くことはあまりないのだけれど、北側を歩くことは初めてだったかも? 立川ステージガーデンは新しい施設で、飲食店などもいろいろ入っていて面白いし、ホールの構造もなかなかナイス。

入場口でリストバンドを交換して、ビールを2杯飲んで待機。芝生が気持ちよかった。 このフェスは国内外のクラフトビールがいろいろ飲める、そういうイベントだった。 12時から開始。なんとしてもchelmicoは見たかったので、見れてよかった。

フェスとビールならビール側に気持ちがあったので、ガッツリ見るというよりも、 飲酒の合間に音楽を聞くという感じに今回もしていた。 入場前は曇ってたけど、昼ごろは快晴という感じでビール日和だった。

音楽をすべて聴こうとすると、ホールと野外の2ステージを行き来する必要がある。 ホール内にはビールは持ち込めないので、野外ステージのときにビール購入列が伸びるという感じになってしまう。 あと食事は会場に持ち込めないので、外の施設で食べる必要があるが、 土曜日の昼ということもありなかなか混んでいた。 我々は適当なタイミングで抜けて、席が空いていた焼き肉店に入る。 ランチメニューでお得な感じだった。

ちょっと施設内も歩きたくなって、探検。施設の屋上で「立川いいじゃん」って言ったりしていた。 会場に戻ってきて、ずっと話をしていたり、柴田聡子さんを見て、私は羊文学を見ずに一人で飲酒をしていた。

早めに晩御飯を食べようと、ブックマークしていたさぬきうどん屋に行く。これは南口まで移動。うどんはとてもよかったですね。ちくわ天を食べたけどとり天も食べればよかった。うどん好きだな。

また会場に戻ってきて、肌寒くなってきたので、ビールはやめていた。 Ovallを見て「いいじゃん」って思ったり、clammbonをみて「いいじゃん」って思ったり。 21時に終わったので、そこから電車に乗って帰宅。めちゃくちゃ酔っ払うとかそういうのはなくて、安全な感じだった。

暮らしの差

3,4人くらいで会をした。 久しぶりの人とお会いして「こういうの久しぶりですね、楽しいですね」みたいな話になったのだけれど、他のメンバーは自分は2ヶ月に1回くらいの頻度で会ったことが引っかかって「そうですね」と言えなかった。 その人とは久しぶりなのだから、そして楽しかったのだから、素直に同意すればよかったなと思う。

会社に出社しないことが前提になって暮らし方が変わったのだけれど、年齢のせいかそれ以外にも引っ越したり、家や不動産を買ったり、育児を開始したり、生活の変化がある人達が多い。 若い世代に目を向けると、この春から新生活で新しく学校に・会社にという人もそれなりにいる。

今年は去年ほどの思い切った変化はないのだけれど、それでもメンバー構成が変わったり、タスクが変わったりしている。 今のチームでの目標も立てる必要があって、とてもふわふわしている状態。長い冬が終わったなと思う。