ある金曜日の夜,突然発作のように職場が嫌になってしまった.
普段の私は嫌なことは寝たら忘れるのだが,インターネットをしながら,洗濯物を干しながら,音楽を聞きながら,どうも苛立ちが去来してきて,
結局その週末はその苛立ちから逃れることができなかった.
私は公言していないものも含めて,いくつか会社を辞めるための条件を持っていて,
今回の出来事はその条件の一つをうまく捉えてしまい,その後の条件がうまくハマれば(自分ルールにより)即座に会社を辞めることになっていた.
幸か不幸か,その後の条件はうまくハマらず即座に辞める必要はなくなったのだが,
長く続いた苛立ちを経ると「そろそろ潮時かな」という気持ちは自分の中に残っている.
上昇志向を持つ人のように「人生を成功させたい」とか,よく稼ぐ人のように「無茶苦茶金儲けをしたい」とか,
あるいは業績を稼ぐ人のように「出世したい」とか......,私にはそのような強い欲はなく,
そしてそのようなことを言う人たちを過度に妬む状況にはなっていない.
また「家族を養わないといけない」「介護の不安が」「住宅ローンが」というようなプレッシャーからは逃げているので,
まぁなんとでもなるといえばそうだと思う.
もちろん「辞めたいから辞める.あとはどこかに行けるだろう」なんてことが言えるほどの腕はあるつもりはない.
職場にはポジティブなポイントもいくつもあるので,そこと天秤をかけることは当然したほうがいいだろう.
今の状態から損益を考えずに退職することは,あとで後悔するんじゃないかな,と思った.
苛立ちが続きすぎると本業にも影響が出ると感じたので,上司を呼び出して話をした.忙しい中ありがたい.
苛立ちの原因になった出来事については,上司のレベルで緩和してくれるところは緩和してくれる約束?を取り付ける.
ただ,「どうにもならないこともあるよね〜」,なんて話もする.それなりに在籍期間は長くなっているので,「まぁ,わかる」.
そういう話を上司としながら,かつての同僚が言っていた退職理由の意味がわかる瞬間というのがあった.
「あぁ,君はこういうことに絶望していたのね」と.
また,上司だけではなく,上司の上司にも同じように話をする.
たまたまエレベーターで一緒になったので,その話をして少し雑談をしたり.
辞めると宣言しているわけではないから,もちろん引き止めなんてものはないが,
ただ話を聞いてくれるし,上司から見えることを話してくれる.
職場の上司とそれなりに話ができること,これは今の私が恵まれているポイントの一つだと思う.
職場内のネットワークでは「辞める」という文字列は打たないように気をつけていたけれど,
ここまでインターネットで騒いでいると,アカウントを知っている同僚や友人たちが「何事か」と声をかけてくれた.
今の私にはありがたいアドバイスもあれば,今の私には無駄としか思えないアドバイスもあって,人それぞれで面白い.
いろいろな考えがあるが,同僚に関しては,同質の人たちが集まっていると感じる部分もあって,またそれも興味深い.
いろいろな人と話しても,自分の出来事なので,責任を取ることは自分しか出来ないと思う.
話を聞いてくれた同僚が「そういえば,結局会社辞めるの?」とまた聞いてきたので,
今のところの考えをおいておこうと思う.
こんなことを1週間程度考えながらも,頭の別のところを使って,
自社のビジネスがどうやったらうまくいくかのあれこれをしたり,
自分の社内における中長期的なキャリアについて考えたりしてて,
「なんだ,このレベルでは並行処理できんじゃん,俺」なんて思ったりもした.
不満もあるが,一方で私がここで達成しなければいけないことは,やっぱりあるんだと思っている.